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五足の靴と     おてもやん

山行のページのタイトルはハイキングメンバーが5人という事で[五足の靴]を捩って[五足のわらじ]と名付けました。

【おてもやん】※熊本市政便りより抜粋
熊本弁丸出しの民謡おてもやん第4回昭和28年と第6回昭和30年の紅白歌合戦に出場。もとは「熊本甚句」という花柳界のお座敷歌で、その由来には
1 ただの戯れ歌
2 実在のモデルを元に三味線と踊りの師匠「永田イネ」が作詞・作曲
3 「おても」を肥後勤皇党、「ご亭どん」を孝明天皇の喩えた勤皇党の忍び歌
4 西南戦争の際に新政府につくか否かを迷った熊本士族をあざ笑った農民の歌等、諸説あるようです


【おてもやんの歌詞と意味】※新熊本市史
おてもやん♪あんた此の頃 嫁入りしたではないかいな
 
おてもさん、最近結婚したんではないですか?
嫁入りしたこたぁしたばってん♪
はい、結婚はしたのですが
御亭どんの ぐしゃっぺだるけん まあだ盃ゃせんだった
ただ、婿殿が天然痘のあとが残っているので、まだ三々九度ん盃はしていません。それとも婿殿がブ男だから三々九度の盃はしていません、でも
村役鳶役肝入りどん あん人たちのおらすけんで
村の役付きさんや火消しの頭や仲人さんなど、色んな世話人の人達がいらっしゃるので後はどうなっと きゃあなろたい
後はうまくとりなしてくれるでしょう
河端町つぁん きゃあめぐらい♪
川端町のほうにまわってあるきましょう
春日南瓜(ぼうぶら)どん達ぁ 尻ひっぴゃあで花盛り花盛り♪
春日町は当時かぼちゃの産地、かぼちゃ男達が裾を引っ張ったりして私はモテもてです。わたしの人生いまが花盛り
ぴーちく ぱーちく ひばりの子 げんばくなすびのいがいがどん♪
雲雀の子のような浮かれっぱなしの男や野暮ったいイガグリ男達は私の趣味ではないよ「玄白なすび」とは杉田玄白が広めた茄子




[五足の靴]※参考文献 岩波書店発行「五足の靴」
1900年(明治33年)与謝野寛(鉄幹)の主宰で、新詩社の機関紙として『明星』を創刊
1907年(明治40年)7月末から8月にかけ九州北・西部を精力的に旅した.

与謝野寛(鉄幹)K生 平野萬里B生 北原白秋H生 吉井勇I生大田正雄(木下杢太郎)M生らによる紀行文で、旅先から『東京二六新聞』に寄稿され同年8月7日から9月10日まで29回にわたって「5人づれ」の署名で文中の呼び名もイニシャルの匿名で掲載。

 

与謝野寛は30代半ばで黒背広姿、他4人は20台前半の学生あがりと学生で金ボタンのついた学生服を着ていたので、よそ見には修学旅行に見えたという。
五足の靴は厳島写真1に詣で、下関写真2柳川写真3(北原白秋の実家)写真4佐世保他を巡り長崎の茂木(海路)から天草の富岡・大江・牛深(海路)・島原・(海路)長洲・熊本写真5阿蘇へ写真6
海路では酷い暴風に遭ったり天草西海岸の富岡より大江まで約32キロの道程は現在整備されており分り易いハイキングコースが出来てますが、当時は難路で五足の靴は途中、縞蛇に出会ったり道に迷ったり宿探しに苦労したりと滅茶苦茶苦戦します。以下熊本での道中と面白い下りを抜粋します
(本文17)
上熊本
から二本木という強慾の巷に出、その夜心の中で、余は(与謝野)こういう断定を下した「熊本は大いる村落である」と。与謝野云わく西郷は、かの精鋭の大兵を率いながら烏勢の百姓兵に負けた
(本文18)
翌日阿蘇行きには妙な馬車、乗合馬車で畳が敷き詰めてあるのだが砂埃が断りもなく入り黒い服を白くし、白いワイシャツを灰色にし畳をざらざらにし道に敷かれた割栗が車を虐待するがた、ぴしゃ、がら、すとんと複雑な九州訛りの蛮音を出させる、耳は聞こえなくなる、頭はずんずんと痛むこれで八里半も行かねばならぬと思うと悲しくなる。大津という所で正午になり聞いた通り菜は馬肉と言う。汚そうだからよしにした。
(本文19)
垂玉温泉から草千里写真7を経て火口写真8から湯のへ。案内者六蔵は火口めがけて七尺ばかりの金剛杖を投げる、と直ぐ高く噴出されて十五、六間あなたへカチリと音がして落ちた。径五、六寸の石を投げ込んでもそこ迄は届かず噴出してしまうそうだ。三人の女連れは扇を投げ入れたこれは一寸面白いとK生が喜ぶ
昔の人は心から自然力に感嘆した。(中略)崇高は外に無くて内にある。昔の人は僅少な自然動にでも、全心を燃やすべき大なる火縄を得る事が出来たのだがそれが彼ら(自分達?)には出来ないのだ。自分は山を降りながらつくづく現代と自分を呪った。そして変な情動から駈け出したら石に躓いて倒れてしたたか肋骨を打った。(帰りに案内者が湯の谷への道を間違え酷い目に遭います)

(本文20)
水前寺写真9 画津湖写真10 一寸後楽園を小さくしたような趣がある。しかし旭川の水を引いた池は格別美しくもないが、この水は池中至る所に清冽泉が湧き出すであるから清々しい。水前寺の後に画津湖がある。水前寺の水が落ちて大小ふたつの湖水となったものだ。



1厳島 2下関 3柳川 4白秋の生家
5熊本 6阿蘇 7草千里 8阿蘇火口
9水前寺公園 10江津湖


江津湖の屋形船の宴席で肥後の古い士謡【おてもやん】を聴き註解しています( )は註解
おもや〜ん
(人名)あんた此の頃嫁入りしたではないかいな
嫁入りしたこたしたばッてん(したけれど)ごんじやどんが(夫が)
ぐぢやッぺぢやるけん(あばた面なる故まあだ盃きやせんだツた
村役、鳶役(消防夫)肝煎りどん
あんふとたちの居らすけんで(あの人達の居られるから)
後はどうなッときやあなろたい。(きゃあは接頭語。後の始末はどうにかなるであろう。)
きやあばたまッさん曲らうたい。(川端町の方へ曲りいかん)
ぼうぶらどんたちや(南瓜どもは)しりふッパッて(尻を出して)花ざあかりはなざかり
2番省略し最後のみ
あかちやか、ベッちやか、ちやかちやかちや♪     


五足のわらじ
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